『魔法少女まどか☆マギカ』の鹿目まどかと暁美ほむらの認識のすれ違いって辛くね?
どうも、神守です。久しぶりにこのブログを更新する訳ですが、それには理由があって、それは2011年にテレビアニメが放映されて、映画にもなった『魔法少女まどか☆マギカ』の登場キャラクターの「鹿目まどか」と「暁美ほむら」の互いの認識のすれ違いに気づいて辛くなったからです。
「え、お前数年前のアニメの話題今更引っ張り出すか?」とか思われそうですが、これに気づいたのがまどマギのパチンコ打ってたときなので、今更になってしまったんですよね、まあそれはともかくとして、まずはこの認識のすれ違いについて説明しましょう。
一応、魔法少女まどか☆マギカのあらすじについて紹介したいと思いますが、主人公は鹿目まどかで、なんだかんだでまどかが魔法少女になるやつです。面白いんで、まどかが魔法少女になる話まで見ていただけると幸いです。そんなに時間かからないかと思うんで。んで、暁美ほむらってのは、まどかが通う見滝原中学校に転校してきたミステリアスな女子中学生で、年齢の割にやけに大人びた(正確には感情を失いかけてる)言動を取ります。まあその秘密は10話に隠されてるんで、10話から見て、1話から見るのもアリかと思われます。その10話でほむらはまどかのことを、「たった一人の友達」としています。暁美ほむらは転校前は病弱で、それ故に不登校であったのと、内気な性格も相まって友達が一人もいなかったのでしょう。
一方、まどかはクラスのリーダー的存在で、性格も明るく、それ故に友達が多かったものと推測されます。そのために、最終話で、ほむらが今までまどかのためにしてきた行いを知って、ほむらのことを「最高の友達」としています。この認識のズレはとても印象的で、それが劇場版魔法少女まどか☆マギカの叛逆の物語でもテーマになっていると感じます。
ちょっと私の話になってしまうんですが、中学時代に僕友達が片手で数えられるぐらいしかいなかったんですよね、今でも連絡を取り合ってるのはその中の一人ぐらいです。先日その友人と遊びましたが楽しかったですよ。まあそれはさておき何が言いたいかというと、僕もほむらの気持ちが多少は理解できるということです。
中学時代の友達の一人は、まどかと同じくクラスの人気者で、それとオタク気質で優しかったために、陰キャブサイクオタクの俺なんかとちょくちょく遊んでくれてたんですよね。今この記事を書いてるときに、それを丁度思い出した次第で、これはまどかとほむらの関係性に似てるんじゃないかと思うのです。俺にとって彼は数少ない友達の一人であったのに対し、彼にとって俺は数多の友達の一人でしかなかったのですから。これ書いてて正直辛くなってきました…
話を本題に戻すと、アニメ本編では、ほむらは唯一の友達であるまどかのために、同じ時間軸を何度も繰り返します。それに従って、いろいろと辛いもの(仲間の死)を見てきたがために、彼女の心は次第にすれていきます。そして、もはや執念ともいえるレベルで自分自身の人生を犠牲にしてまで、まどかのことを救おうとします。それを知ったまどかは、「私のためにほむらちゃんありがとう…」ぐらいの感情しかなかったと思われます。そりゃ数多くの友達の一人でしかないんですからね。暁美ほむらは。
叛逆の物語を見たオタクらは、暁美ほむらのことを「クレイジーサイコレズ」などと称していましたが、まあそう言われるのも無理はないかと思われます。だって彼女は、まどか本人の意志に反してまで、まどかのためにということで悪魔になって世界改変までしてしまったのですからね。話はまた逸れるんですが、劇中では「まぁるいケーキ」っていうあのどこか不安定な世界を象徴するクッソ恥ずかしいゲームありましたよね。俺、WOWOWで見てたんですが、マジで恥ずかしくなってきましたよ、あれ見たときは。映画館で見た人の中には途中退出した人もいそうですよね。あれが暁美ほむらの望んでたものだったとしたのならば、やはり彼女の精神年齢って思った以上に若いのかもしれませんね。
最後に言いたいことまとめると、まどマギの核ってこの2人の認識の齟齬にあると僕は考えます。だからこそ面白いんですよね。
書きたいことは山ほどあるんですが、これ以上書くと誰も最後まで読んでくれなさそうなので、ここで終わりにしたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。